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私達に出来ること

先日大切な友人を亡くしました。

いつも自分よりも人を優先してくれる優しい人でした。

亡くなってからご家族の方に、

彼女は生前愛された記憶がなかったと言っていたことを聞きました。


今、この言葉がボディブローのようにジワジワと効いてきています。


「愛された記憶がない」という寂しいやりきれない思いから楽になるために

彼女は様々なことを勉強していました。

その学びの中で、その思いは彼女の思い込みであって、

決して本当ではないことを知識として彼女は気づいていたそうです。

けれど、でもやはりその思いを手放すことは出来なかったとのことです。



この話を聞いて、まるで私のことを聞いているようだと思いました。

私も長いことずっと、役に立たない自分を苦しめるだけの思考なんて

捨ててしまいたいと思ってきたからです。

でも、そんな風に思ったからといって、思考は消えてくれません。

だってその思考は自分を定義してくれる大切な思考だからです。



私=愛された記憶のない人間

だと定義していたのに

カウンセリングやヒーリングの結果、

私=実は愛されていた人間

になってしまうということは、



例えば

私=自分の両親の子供

だと思っていたのに、

私=実は他の親から生まれていた子供

であったことを知り、受け入れるくらい怖いことじゃないかと思うんです。



そして、例えば嘘だったことが分かったとして、

じゃぁ自分はこれまでの人生を無駄にしてきたのかと

がっかりすることもあります。

なんてバカだったんだ、そう思うのが悔しくて

手放したくないこともあります。



だからそんな怖いことを自分に課すのは酷じゃないかと私は思います。

「私は愛されたことがない。」そう自分を定義しているのなら、

それが、いつか自然にそうじゃなかったんだと思える時まで、無理にその自分を否定しない

そしてそのまま否定しない状態で、

それでもその状況が自分にしっくりこないのなら、

自分にピンとくる本を読んでみる、ワークショップに参加してみるなど、

自分の直観でやりたいことを決めたらいいと思うんです。

私の場合は、もしもその考えがなかったらどんな感じかな?と想像してみる。

というワークをしますが。



が、しかし、

こんなことは、私も彼女も様々なことを試して効果がなかったから気づくことです。

だからやっぱり、私たちは自分に今出来ることをただするしか出来ません。

彼女の生き方は決して間違ってなかったのだと思います。

彼女は精一杯生きて、そしてもしかしたら彼女の人生に意味なんてなかったと

彼女は思うのかもしれないけれど、

それがどうだというのでしょうか?

人生を意味あるものにしなくちゃいけないなんて誰が言ったのでしょうか?

私が明日死んだとして、私は世の中に何も残していないかもしれません。

でも、その方が気が楽です。



何も残せないなんてことは決してないのだから、

ただリラックスして何も残さないように生きてもいいのかもしれません。



実はこの体験から私は大切なメッセージを彼女から受け取りました。

まだまだこれからも多くのメッセージを受け取るような気がしています。

意図しないところで、彼女はたくさんのギフトを残してくれました。



最後に、

あなたは愛されていなかったと思っていたかもしれないけど、

私はあなたがとても好きでした。

今、あなたが愛を思いっきり感じていることを

私は信じてます。


また会おうね。ありがとう。


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