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私(I)と私(me)

先日、私は自分を人と比較して

「自分は劣った存在だ。生きている価値がない。」といった非常に怖い感情が

強く湧きあがる出来事を体験しました。


これは、私の人生でずっと持ってきたパターンで、馴染みの深いものです。

何かあるとすぐに「自分はだめだ。」とがっくり落ち込み立ち上がれなくなる

そんな自分をなんとかしたくて、こころの勉強を始めたぐらい

私にとって非常に気になる、私の「弱点」でした。


私はこの弱点を、

人より優れた自分になることで、カバーしようと必死に生きてきました。

「決して間違いをおかさない」とか

「人より知識を増やしていつでも答えを持ち合わせている」とか。


だから、人よりちょっと偉そうにしていないと不安でした。

人が自分より物を知らないと、安心しました。


その為、小さい頃より、年をとった今の方が安全な気がしていました。

小さい頃はいつだって自分より優れた知識を持つ人が周りにいて

私の不安を増長し続けていましたが、

年をとり、知識が豊富になった今は、人に否定されたり、説得されたりということがほとんどなくなり、

私はようやく安全な空間を得たような気がしていたのです。


「大人になるって誰にも怒られなくて安全でしあわせ。」

このように思った私は、ようやく手に入れた安心感を絶対に手放したくなくて、

多くの人の矢面に立つような立場を避けたり、失敗のしようがないことだけをしたり、

断言を避けたり、相手に合わせたりしていました。



しかし、どんなに気をつけていても、自分より物事を良く知っている人に遭遇する機会はありました。

特にセミナーに参加したりすると、そこで教えてくれる「先生方」はそういう人の代表格でした。



そのような「先生方」を前にすると、自分には今までの経験や知識があるはずなのに、

その先生方が持っている知識を知らない自分が恥ずかしくて劣っているように感じられて

とても悲しくなりました。


特に、そんな時の私の対処法は、「必要以上に自分のだめさを強調し、

相手の同情を買う」というものでしたので、そうやって卑屈になっている自分のことも

嫌いで、本当にどうしていいのか分からなくなったものです。



さて、前置きが長くなりましたが、

先日この感情が強く刺激される出来事があり、私は

「また、このパターンだ。私はいくら自己ワークをしても、

どんなことをしても、このパターンから変わることが出来ていない。

きっと一生このパターンを持って生きていくんだろう。」

という思いが強く出てきて、ものすごく自信をなくしました。


自分が情けなくて悲しくて

「私はいつまでもこのままなんだなぁ。いくら頑張ってもこんな風に感情的になり、

物事に反応してしまい、冷静で平安のままいられないんだなぁ」

そんな思いが私を押しつぶし、

自分は恥ずかしい存在で、生きている価値がないとまで思うほど

どっぷりと落ち込みました。



これって、多くの方がひっかかることなんじゃないかと思うのですが、

いくら自己ワークをしても、知識がどんどん増えていっても、

いまだに恐怖の感情にかき乱されているということは、

「ワークやヒーリングがまだ足りない」

「自分にはまだ何かが欠けている」

「私にはまだ問題がある」

ということを表しているような気がしてしまい、

「一体あとどれくらい続ければ私はまともになれるのだろうか?」

「私は一生このままなんじゃないか」

「私には自分を変えることが出来ない」

といった無力感や将来への不安を生み出してしまったのでした。



「私は感情的になってはいけない」

何故なら、それは

・私がまだ問題を抱えているということだから

・問題を抱えている私は恥ずかしいから

・私は何の問題もない人にならないといけないから


そうやって自分をずっと罰してきたのです。



そして、私は思い出しました。

私は、この方法では決して楽にはなれないということを。



私が私だと思っていたのは、

この「いつまでも変われない同じ所でぐるぐる回ってしまう私」でした。

でも、それは、私がそう信じていた私であって、

本当の私はそれではなかったのです。


本当の私は、その私がそうあることを許す場のような存在で、

本当の私は、「私」がいくら傷ついていてもちっとも傷ついていませんでした。



「私」は、「私」が信じる「私」を生きている限り、

傷つくことが仕事です。

だって、「私」は「私」が思う通りのことが起こらないと

傷ついて、面白くないと思う存在だからです。



そして、現実というのは、

「私」の思い通りにならないのが仕事です。



いくら、「私」が望んでも、

大切な人の死を避けることは出来ないし、

自分が年をとることも避けられません。



現実は、ただ起こります。

それに「自分の想像通りではない!」と怒るのは「私」です。



今までは、その「私」を怒らない存在に変えようとしていました。

「私」の中にある、現実と闘う苦しい思考をすべて消してしまい

「私」を聖人にしようとしていました。



でも、これは無理なんですよね。


なんとなく、私の中で腑に落ちたのは、

こんな感じです。



本当の私は、「私」がどんなに感情的に傷ついて反応したとしても

大丈夫なことを知っている。

だからその「私」をも許しているし、受け入れている。



そんな「本当の私」の立場から

すべてを見れば、どんなに嫌なことが起きても

「私」は反応することを無理やり押さえる必要がないし、

「本当の私」は、穏やかにいられます。



そして「私」が「私」を責めてぐるぐる自分を苦しめているのではなくて、

「本当の私」がそんな「私」をあたたかく母のように見守っていると

「私」は「私」の物語を手放しても良いかな、と思えるようになるものです。



「そんな思考を持っていてはだめでしょ?手放しなさい!!」

と叱られると、絶対に手放すものかと思いますが、

「なるほどねぇ、そうやって苦しいんだね。それでそれで?」

なんて自分にやさしく見守られると

「私」は「そうかぁ。私の思考が苦しかったのかも。ちょっと手放してみようかな」

という気になりませんか?



最近、「本当の私」のことをI、

「私」のことをmeと表現している本を読み、

なるほど、それは分かりやすいなぁと思いました。



Iはいつだってmeを助けられます。

meが苦しい時、苦しいままでいても許しつつ、

もしIに出来ることがあれば、いつだってmeを助けてあげていいんです。



そうやっているうちに、Iとmeが混乱してしまい、時々また良く分からなくなるものですが、

いずれの体験もIからしてみれば楽しい経験です。




ことばで表せることの限界はありますが、

今の私のことばではこんな感じです。



いつまでも幸せを感じることが出来ない、変われない自分に

イライラしている方は、

イライラしなくていいんですよ、




そんなことが言いたかったのでした。



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